カナダや米国で医療用・娯楽用大麻の解禁へ大きくシフトしつつある中、「産業用ヘンプ」と呼ばれる品種の大麻が注目され、生産農家が増えています。2018年に医療用大麻が解禁された英国ではある映画監督がそのキャリアを活かし、クリーンで持続可能な世界を作るためのユニークなプロジェクトを進行中です。
「映画作り」から「大麻作り」へ
2018年に医療大麻が解禁された英国では、サプリメントとしてウェルネス商品に大麻由来成分を配合したものに大きく注目が集まっています。医療大麻解禁のニュースによって医療大麻の存在が広く知られるようになり「大麻は悪いもの」という思い込みが崩れたことや、麻に含まれる天然成分のひとつカンナビジオール(CBD)が美容や心身の健康に役立つことが広く知られ、これまで大麻に関心の薄かった女性や、スポーツ選手にも愛用されるようになっているのです。
そんな中、農業についてもまったく知らなかった英国人の映画監督が、大麻栽培事業と独自のCO2削減事業に乗り出したストーリーをご紹介しましょう。
マイケル・ジャクソンやマドンナ、ポップバンドのa-ha など、80年代トップスターのミュージックビデオを手掛け、90年代は「ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ」や「コーンヘッズ」などのコミカルな映画作品でヒットを飛ばした映像作家のスティーブ・バロン。監督兼プロデューサーとして長年エンターテインメント業界で活躍してきた彼は、60歳をむかえ孫ができたことをきっかけに環境問題について考え始めたといいます。
奇しくもその頃はカナダがウルグアイに続き世界で2番目に娯楽用大麻を合法化した時期。カナダにいる友人を通じて向精神作用を引き起こさない品種の産業用ヘンプ(インダストリアル・ヘンプ)の存在を知った彼は、自分にも何かできないかと考え始めました。
ドル札にも印刷されていた大麻農業
大麻は現代に入り禁止薬物とされた時期が長かったため、ネガティブなイメージを持つ人も多いのですが、人々の生活を支える大切な作物として古代から栽培されてきました。例えば1914年に印刷されたアメリカの10ドル紙幣には大麻を耕す農民が描かれており、紙幣自体も大麻からできた紙が使われています。
時代を遡れば文豪シェイクスピアも愛煙し、アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントン(任期1789 – 1797年)は国おこしのために大麻の栽培に力を入れました。日本でも第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領下に置かれ「大麻取締法」が制定されるまでは、ほかの作物と同様に大切な農作物として栽培が行われていたのです。
産業用ヘンプがすごい理由
バロン氏も注目したように、大麻=ヘンプには以下のようなたくさんの利点があります。
<成長がとても速い>
麻は非常に成長がはやく、日本では忍者が日々麻を飛び越えてジャンプの練習をしていたという逸話も残っているほど。栽培から100日で収穫が可能になります。年に何度も収穫ができるため耕地面積あたりの生産量が非常に高くなります。
<CO2削減に大きく貢献>
成長が早い麻はその過程で光合成をたくさん行い、大気中の二酸化炭素をどんどん吸収します。その吸収量は森林の2〜4倍とされ、気候変動問題の改善に役立つと期待されています。
(英国ケンブリッジ大学/自然材料イノベーションセンター調べ)
<石油由来プラスチックの代用に>
麻の繊維は非常に強く、植物性樹脂とブレンドし加工することによってプラスチックや金属の代わりとなります。このため限りある化石燃料の使用を減らすことができます。
<土に還る>
石油系プラスチックは何百年・何千年と分解されず土壌や水を汚染しますが、麻で作られた製品は廃棄されても生分解され土に還る特性があります。
<土壌を改善>
大麻は丈夫で農薬などの化学薬品をほとんど必要としないため、農地や水源へのダメージ、農業従事者への健康被害を減らすことができます。また大麻の種子=ヘンプシードは栄養価が高く食用されていますが、無農薬または低農薬で育てることができるため消費者にも安心です。また根を土壌中に張りめぐらせるため、荒れた土壌も柔らかくなるというメリットも見逃せません。
<健康にも役立つ>
本稿ほかでも触れていますが、麻は繊維利用や食用だけでなく、近年人気の成分CBD(カンナビジオール)のように、花や葉に含まれる様々な薬理成分カンナビノイドを抽出することができ、美容や健康に役立てることができます。
ヨーロッパ車は麻でできていた
ヨーロッパでは古くから自動車産業向けに産業大麻が栽培されており、BMW・メルセデス社ほかのドアパネルなどに使用されてきました。その理由は麻繊維が強くて軽く、金属より安価に生産できるからです。
一般にそれほど知られていなかったのは、人々が金属やプラスチックに信頼感を抱いているのでメーカーがその期待を裏切らないようにしていたこと、そして大麻にまつわるネガティブイメージがブランドイメージを傷つけないように配慮していたためで、大麻繊維の性能が劣っているわけではなかったのです。
現在では負のイメージもかなり払拭され「環境のため大麻製強化プラスチックを使用」を謳ったエコなバイクや自転車ブランドも続々と登場しています。
クリエイティブ業界出身ならではのビジョン
バロン氏が麻農業を始めようとした当初、英国では米国やヨーロッパに比べてあまり麻農業が普及していませんでした。家畜用や自然素材を使用するベッド会社が国産麻を使っている程度で、ヨーロッパのように大きなビジネスとして成立していなかったのです。
クリエイティブ畑出身の彼が思いついたのは、とにかくスタイリッシュさをアピールすること。隠されたパーツに大麻を使うのではなく、「インダストリアル・ヘンプ製」を前面に押し出し、石を浴びやすい製品を作ってみせることで負のイメージを払拭し、制作過程をすべてドキュメンタリーに収め、環境問題改善についてもアピールしたいと考えました。
ヘンプハウスの完成
ケンブリッジシャーに53エーカーの農地を確保し、産業用ヘンプの栽培ライセンスを取得したバロン氏ですが、実は農業はまったくの素人。マージェント・ファームと名付けた農園で、近隣オーガニック農家や自然繊維の専門家と協力して手さぐりで事業に乗り出しました。
農園から20マイルほどにあるケンブリッジ大学サステナビリティ研究所とも協力し、ヘンプ製品開発プロジェクトも同時スタート。この研究所では石油の代わりに麻を始め自然素材を使った製品を開発することで、持続可能性の高い社会を実現するための研究を行なっています。
最初の大型プロジェクトはヘンプでできた住宅の建設でした。
初年にマージェント・ファームで収穫された麻は、繊維を加工して人体に優しい漆喰とプレハブ素材となり、バロン氏の自宅兼ファームハウスとなりました。設計はロンドンの建築デザインチーム「プラクティス・アーキテクチャ」。ファイナンシャルタイムズ紙によると、このファームハウスに使用されたヘンプ壁は保温性が高く、カビや害虫にも強く、湿度コントロールに優れていると評価されています。
また完全なオーガニック農園としても認定を受け、ますますサステナブル色を強めました。
ファームハウスの成功を追い風に、チームはアルミニウム屋根の代わりになるコルゲートパネル、ビチューメン・プラスチックに加工してゴーカートのシートをつくるなど、さらなるプロジェクトが進行中です。
デジタルカメラも制作
バロン氏がもう1つ実験したかったのは、金属やプラスチック製が多い映画撮影機材をヘンプで代用すること。これもカメラメーカーと大学の共同開発の結果、ヘンプ製のデジタルカメラもすでに実現しています。
2016年に土地を購入した時はアザミとシカギクが生い茂る野原だったというマージェント・ファームは、サステナビリティとデザインの実験室に生まれ変わりました。バロン氏は、大麻需要の高まりから、ヘンプ農園は英国農業の活性化にも繋がると考えているそうです。
<参考文献>