麻は日本の伝統的な衣料素材です。木綿が一般に普及するようになってからも、丈夫で涼しい麻素材は、武家の正装や夏の着物に用いられてきました。近江(現在の滋賀県)には、品質の良さで全国に知られた麻織物、近江上布があります。衣料としての麻の歴史と、この地域で麻の栽培が盛んになった秘密を探ります。
麻の着物と日本人
日本で木綿が普及したのは、戦国時代以降のことです。中国との交流で、綿布の存在は奈良時代には知られていたのですが、国内で栽培されるようになったのはずっと後で、室町時代末頃といわれています。
然らば多くの日本人は何を着たかといえば、勿論主たる材料は麻であった。麻は明治の初年までは、それでもまだ広く栽えられていた。その作付反別が追々と縮小の一途を辿っていたことを、世人は木綿ほどに注意していなかったのである。*1
ごく限られた人だけが手に入れることができた絹を除けば、伝統的な日本の衣料は麻でした。絹は、蚕の作った繭から生糸を取り出す、非常に手間のかかる繊維で量産ができません。人びとが日常に着ていたのは麻だったと考えていいでしょう。
麻は本来、大麻(ヘンプ)から採る繊維のことです。しかし、日本で麻織物というときには、クワ科の麻のほか、イラクサ科のカラムシ(苧)をも含みます。植物としては別なもので、古い時代にも区別して書かれているのですが、布としてはどちらが多かったのかははっきりわかっていません。いずれも重要な繊維植物だった、ということは確かです。
古代・中世を通じてこの両者[引用者注:大麻と苧を指す]は繊維原料としてどちらの比重が大きかったかについては、なかなか確かめることができない。両者は文献上は区別されて同時並行的に姿を見せるから、いまのところ繊維原料として並存していたという他はない。*2
麻織物の代表「上布」
衣料としての麻には、繊維が丈夫なこと、吸湿性があること、そして熱の伝導率が高いことなどの特徴があります。言い換えると、洗濯に強く、汗をかいてもすぐに乾き、肌当たりがさらりと涼しいということですから、日本の高温多湿の夏の衣料として麻が用いられてきたのもうなずけます。
麻の着物地の代表的なものに、上布があります。麻の丈夫さを生かして、細い糸で織った薄手の麻織物で、夏の着物用に好まれています。
上等の布の意。苧麻から手先で細い上質な糸を績(う)み取り、平織りにする。一反の織上がりの重さは、最上品で二六〇グラム 前後、普通のもので四五〇グラム 前後という軽い薄手の麻織物。夏着尺の最高で、白生地・紺無地・縞・絣などがある。*3
上布の産地は北陸や沖縄など全国にあり、それぞれに特徴のある麻織物を作り出してきました。
江戸時代の麻織物は、木綿の普及によって庶民の衣服材料としての重要性は薄れ、主に裃と夏期用の帷子に用いられるものとなった。主要産地は奈良・越後・越中・能登・近江で、高級麻織物として越後縮・奈良晒が知られる。*4
このうち奈良晒と近江上布は、いずれも古い歴史をもつ布ですが、江戸時代の後半になると近江上布が増加し、麻織物では全国一の流通量を記録します。
奈良晒は十八世紀の間は麻布のなかでは最大の仕入数量を示すが、一八二八年には近江晒にトップの座をゆずった。
まとめていうなら、先発ともいえる奈良晒が近世後期には後退の様子をみせ、越後縮は十八世紀末までは急速に伸びるが、十九世紀二〇年代はやや落ちている。これにくらべて、近江晒は奈良晒につぐ歴史をもつが、同時に息の長い商品として近世後期に都市問屋の手を経てかなりの量が流通しているのである。*5
背景には、近江上布(引用文中では近江晒)の産地、彦根藩の手厚い産業保護と、近江商人の活躍による販路の拡大がありました。
高品質で知られた近江の麻
近江(現在の滋賀県)では、古くから麻が栽培されてきました。麻糸は乾燥すると切れやすくなります。そして糸の加工には、きれいな水に晒す工程が必要です。湿度のある気候と、琵琶湖のほとりで水が豊かなことも、麻産業には好適地でした。
質のよい麻織物として知られた近江高宮布(上布)は、彦根・高宮周辺が産地で、起源は鎌倉時代まで遡ります。近江は都のある京都に近かったこと、そして中山道、東海道、北陸道が交差する街道の要所であったことから、織物の集散地として発展しました。
江戸時代、武士の正装は麻の袴でしたから、庶民の衣類に木綿が普及した後も、麻布には需要がありました。彦根藩は地元の特産品として麻の栽培を奨励、麻布を買い上げて織物産業を保護する一方、近江麻布改役所を設置して品質の維持に勤めました。
伝統的工芸品指定、近江上布
明治に入ると、社会・技術の大きな変化が近江の麻産業にも影響を与えます。明治維新によって幕藩体制が崩壊し武士階級がなくなったこと、洋服が普及するようになったこと、そして機械による紡績が始まったことにより、近江上布の産地は東近江市や愛知郡愛荘町などに移ります。
近江上布には、生平(きびら)と絣があります。生平は、麻の風合いを生かした無地の織物で、主に帯に使われます。絣の方は、柄に合わせて染めた糸を織るもので、「櫛押し捺染」と「羽根巻き捺染」のふたつの技法があります。
櫛押しでは木製櫛型の溝をつけた底面に染料をつけ、そろえた緯糸に線状の模様を描く。また羽根巻きでは、短い同形の木片に緯糸を巻き取ってきちんと並べ、その上から型紙により刷毛で染料を擦り込む。櫛押しは細かい柄を鮮明に描くことができ、羽根巻は大柄や中柄、そして多色使いに適する。経糸にも捺染が用いられるほか、手機の紺絣の場合には板締めで加工される。*6
1977年、近江上布の生平と絣は、国から「伝統的工芸品」指定を受けました。「わが国の伝統的な生活文化を継承し、後世に伝える」(伝統的工芸品産業振興協会)産業として評価されたということです。
しかし、人びとの衣生活が変わり、着物地の需要は大幅に減りました。また、熟練した職人が高齢化し、後継者が不足していることなど、今後の課題も抱えています。
そこで滋賀県麻織物工業協同組合は、愛知郡愛荘町に近江上布伝統産業会館を設立し、近江の麻織物の歴史を展示・情報発信をしながら、一人前になるには十年かかるという伝統技術を継承する、若い職人を育てています。
まとめ
戦後、大麻栽培が禁止されて以降、日本伝統の麻織物は、苧麻やラミーに素材を替えて生産されるようになりました。しかし、麻の優れた特質を生かした織物を守り育てている産地・人びとは全国にいて、伝統の技を継承するほか、新しいデザインや用途の開発にも努めています。
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情報引用元(参考文献、URL、URKページ タイトル記載)
*1 「何を着ていたか」柳田国男『木綿以前の事』(岩波文庫・第21刷改版)岩波書店、2009年、P.25。
*2 「Ⅱ 古代・中世における苧麻と布」、永原慶二『苧麻・絹・木綿の社会史』吉川弘文館、2004年、P.25。
*3 「上布」、板倉寿郎他監修『原色染織大辞典』淡交社、1977年。
*4 梅谷知世「六 織豊から江戸時代の衣服―武家服制の完成と庶民服飾の充実 7 国内織物産業の発展」、増田佳子編『日本衣服史』吉川弘文館、2010年、P.277-278。
*5 「7 近代に繋がる新興商人」、林玲子編『日本の近世 5商人の活動』中央公論社、1992年、P.291-292。
*6 「近江絣」『<シリーズ染織の文化②>織りの事典』朝日新聞社、1985年。
画像データ
・画像2 江戸時代の百科事典『和漢三才図絵』中の「大麻」
国立国会図書館デジタルコレクション 和漢三才図絵 下之巻
インターネット公開(保護期間満了) https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/898162
・画像3 麻の葉紋
”【 enishi cotton mask 青藍麻の葉 SEIAI-ASANOHA 】” by jun.skywalker (enishi hand made cyclecap) is licensed with CC BY-NC 2.0. To view a copy of this license, visit https://creativecommons.org/licenses/by-nc/2.0/
出所 https://www.flickr.com/photos/27849832@N07/49849398652
・画像4 近江八幡市新町
“近江商人の町並み(新町通り)” by bnhsu is licensed with CC BY-SA 2.0. To view a copy of this license, visit https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0/
出所 https://www.flickr.com/photos/90994687@N00/47251880091
・地図 滋賀県 Google Map https://goo.gl/maps/rNyv7UYXWxhWnuJZA
・画像5 近江上布 制作体験
”滋賀県愛荘町の伝統産業会館で近江上布体験したよ” by nikunoki is licensed with CC BY 2.0. To view a copy of this license, visit https://creativecommons.org/licenses/by/2.0/
出所 https://www.flickr.com/photos/49708294@N07/24620067028