日本には、古代から大麻が自生しており、大昔から、麻がおおいに利用されてきました。日本人の麻の活用は、縄文時代に遡ると言われています。
日本人にとって、織物とは、麻と絹であるという時代が長く続きますが、絹は、高価なので、一般庶民の手には入りませんでした。庶民といえば、麻はじめ、植物性の繊維の衣服を着ていたと考えられています。
万葉集では、多くの植物が詠まれていますが、人々の暮らしの身近にあった麻を詠んだ歌が28首あります。ここでは、代表的な歌をご紹介します。
万葉集とは?
万葉集で、麻を詠んだ歌をご紹介する前に、万葉集について、少しおさらいをしておきましょう。
万葉集は、奈良時代の末期に成立した、日本に現存する最古の和歌集です。万葉集は、すべて漢字で書かれていて、全20巻 4500種以上の和歌が収められています。
万葉集では、天皇・貴族だけでなく、下級の官人、防人、農民などさまざまな身分の人が詠んだ歌が選ばれています。
万葉集では、多くの恋の歌が収められていますが、同様に、さまざまな植物もうたわれていて、その種類は、150種を超え、全体の1/3が何らかの植物を詠んでいると言われています。
そのうち、最も多く詠われているのが萩で137種、ついで梅が119首です。麻も28首詠まれています。
万葉集で詠まれた麻の歌10選
万葉集に収められている和歌は、すべて漢字で書かれていますが、ここでは、読みと口語訳を載せます。
庭に立つ 麻手(あさで)刈り干し 布曝す 東女(あづまおみな)を忘れたまふな
常陸娘子の歌で、巻4-521です。
(庭に生い立つ麻を手で刈り取り、干し、布に織って晒す私。この東女のことを忘れないでくださいね。)
ここで詠われているのは苧麻。常陸守の任を終え、帰京する藤原宇合に、親しかった女性が詠ったものです。
夏麻(なつそ)引く(びく) 海上潟(うなかみがた)の 沖つ洲に 鳥は すだけど 君の音もせず
巻7-1176で、作者不詳の歌です。
(海上潟の沖の砂洲に鳥が群がって騒いでいますが、あなたからは一向に音沙汰がありません。どうされたのでしょうか。)
「夏麻引く」は、海上潟の枕詞。ここでの麻は、引くということから、アサ科の一年草の大麻と考えらていてます。
麻衣 着ればなつかし 紀ノ國の 妹背の山に 麻蒔く吾妹
藤原卿の歌で、巻7-1195です。
(麻衣を着ると、紀ノ國の妹背の山に麻の種を蒔く彼女が懐かしくなる。)
麻を蒔くのですから、季節は春。妹背山の間を流れる紀の川が流れるのを見ていると、その地への思いがこみ上げる。)
かにかくに 人は言ふとも織り継がむ 我が機物の白麻衣
巻7-1298で、柿本人麻呂歌集です。
(人はとやかく言うでしょうけれど、今織っているこの白麻の着物を織り続けましょう。)
この白い麻衣というのは、彼女が今している恋愛のことを指しているようです。そうすれば、この歌の意味がよくわかりますよね。
桜麻(さくらを)の 麻生の下草 露しあれば 明かしてい行け 母は知るとも
巻11-2687で、作者不詳です。
(桜麻が茂る原の下草は露に濡れていますから、夜を明かしてお帰りなさい。母が知ることになっても。)
桜麻は、花の色から、あるいは種子を蒔く時期からとも言われますが、実体はよくわかりません。麻生(をふ)にかかります。大胆な恋の歌です。
筑波嶺の 新桑繭(にいぐはまゆ)の衣あれど 君が御衣(みけし)し あやに着欲しも
巻14-3350で、東歌です。
(筑波山で 新しく織られた着物はいいのですが、私はあなたがお召しになっている着物がたいそう着てみたいです。)
筑波山の麓で、桑を植え、蚕を飼い、織った絹の着物を着ることができるのは、上流階級の人だけ。そんな絹の着物より、あなたの粗末な麻の着物を着たい。一途な女心の歌です。
上つ毛野(かみつけの)安蘇のま麻むら(あそのまそむら) かき抱き寝れど 飽かぬをあどか我がせむ
巻14-3404で、東歌です。
(安蘇の麻をかき抱くように寝るけれど、それでは満たされない。どうして私は、こんなことをしなければならないのだろう。)
現在も 下野の国の阿蘇郡では、麻畑がみられるといいます。麻の束を抱くようにお前を抱きたい!直截な表現に生命力を感じます。
多摩川にさらす手作りさらさらになにぞこの子ここだ愛しき
巻14-3373で、これも東歌です。
(多摩川に布をさらして仕上げますが、そのされではないが、更にいっそうこの子がどうしてこんなにも愛おしいのだろう。)
多摩川に曝しているのは、手織りの麻布。布を柔らかくして、白くするためです。寒中に行う作業はつらいものがあったことでしょう。
麻苧(あさお)らを 麻笥(おけ)にふすさに 績まずとも 明日着せさえや いざせ小床(をどこ)に
巻14-3484で、東歌です。
(麻の繊維を細かく裂いて、糸にして箱いっぱいにしなくても、明日着るわけではないでしょうに。さぁ、いい加減にして床に入りませんか。)
麻苧(あさお)とは、麻や苧(からむし)の繊維で作った糸のこと、麻笥(おけ)とは、積麻(うみお)を入れる器の事です。
小垣内(をかきつ)の 麻を引き干し 妹なねが 作り着ふ 帯を三重結ひ 苦しきに 仕え奉むと 思ひつつ 行きけむ君は 鶏が鳴く 東の国の 畏きや 神の御坂に 和妙の 衣寒らに ぬばたまの 髪は乱れて 国問へど 国をも告らず 家問へど 家をも言はず ますらをの 行きのまにまに ここに臥やせる
10選のうちの最後は、巻9-1800、田辺福麻呂歌集で、長歌です。
(垣内の麻を引いて干して、奥さんが作って着せたのでしょう。白栲の紐も解かないで、一重に結ぶ帯を三重に結ぶぐらいに痩せて苦しいのに、お役目を果たして、今でも国に戻って、父母や奥さんに会おうと思って戻ってきたのに、東の国の怖い神の居る坂に、柔らかな衣を着ていても寒くて、黒髪は乱れて、国はどこかと聞いても、家はどこかと聞いても答えず、男の人が帰郷に向かったまま、ここに横たわっています。)
行き倒れになってしまった男の人が着ている麻の着物を見て、それを心を込めて作った人にも会えず、餓死してしまった人を憐れんでいます。
万葉集の時代の麻
万葉集が作られた奈良時代になると、絹を織る技術も、染める技術もずいぶん進歩しました。とはいえ、絹織物は高価で、一般庶民の手には入りませんでした。庶民といえば、麻はじめ、植物性の繊維の衣服を着ていたと考えられています。
麻織物の技術も進歩し、正倉院には、越後から献上された「越布」(越後上布の最高級品)が収められています。その後も、小千谷縮(おぢやちぢみ)として、高級麻織物としての伝統は、現代にも息づいています。
万葉集では、植物としての麻というより、種蒔き、刈り取り、布つくり、晒し、機織りなど、すべての工程が歌に詠まれています。その頃の人たちにとって、いかに麻が身近なものであったかがよくわかります。
まとめ
万葉集の中で詠まれた麻の歌をご紹介しました。万葉集の時代の人と麻の密接な関係を感じ取っていただけたと思います。
そんな時代から、私たちの生活の身近なところにあった麻を、これからもずっと愛用し続けたいですね。
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情報引用元
太古より人類に愛されてきた天然繊維「麻」:https://asabo.jp/museum/tradition/
万葉集に登場する麻は二十八首:https://manyuraku.exblog.jp/26079304/
万葉集の植物:http://www3.kcn.ne.jp/~katoh/nature/mans.html
万葉集の中の麻:https://manyuraku.exblog.jp/26079304/
万葉集ナビ:https://manyoshu-japan.com/
麻箪とは:https://www.weblio.jp/content/%E9%BA%BB%E7%AC%A5
麻苧とは:https://kotobank.jp/word/%E9%BA%BB%E8%8B%A7-423965
越後上布:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%8A%E5%BE%8C%E4%B8%8A%E5%B8%83