はじめに
古くから日本の衣類は、麻を原材料として作られていました。変化が始まったのは江戸中期、西日本を中心に綿や絹の国産化が進み、徐々にその座を譲ることになります。しかし麻は、明治期以降も北海道で開拓農家の収入源として重視され広く栽培されました。
麻産業は北海道殖産のための重要な産業とされ、麻栽培は外国技術の導入が図られ奨励されました。
当初は大麻の栽培と産業化から始まり、やがて亜麻に移行します。そこに何があったのか、北海道殖産興業の歴史の1頁として、興味のつきない物語を紹介します。
屯田兵村での大麻の栽培
北海道での大麻栽培は18世紀頃、道南中心に始まりました。松前蝦夷記(1717年)に、「松前西東の地にて雑穀、粟、稗、麻、多葉粉総って畑物土地に出来申候」との記述があります。[1]
明治期以降、大麻は主に屯田兵村で栽培されていましたが、栽培法は稚拙であったといいます。そこで1871年北海道開拓使は栃木県、新潟県などから技術者を招聘し、栽培法や製麻法の改善に努めました。[2]
屯田兵は、平時は農耕に従事し、戦時は兵務につく辺境防備の農兵です。明治維新後、開拓とロシアの南下政策に対応するため北海道に置かれました。
北海道開拓使は、明治初期に北海道開拓経営のため置かれた行政機関です。1869年(明治2年)から1882年までの短期間でしたが、北海道発展の基礎を固める上で大きな役割を果たしました。(出典:ブリタニカ国際大百科事典)
1876年(明治9年)札幌に製網所が開設され、屯田兵から大麻の繊維を買上げ漁網原料糸を作るようになりました。大麻の栽培や製麻は、屯田兵の重要な授産事業になったのです。
当時、北海道内の大麻栽培の75%は札幌区と石狩郡で行われ、繊維の多くは鰯や鰊の漁網用に製造されました。[1][2]
北海道製麻会社の設立と大麻の栽培奨励
1877年(明治10年)勧業寮(内務省)技師の吉田健作はフランスに渡り、亜麻の耕作と製品製造の研究に当たりました。1881年帰国すると製麻工場の建設を進言し、1887年(明治20年)北海道製麻会社を設立しました。[2]
吉田健作は、当面は大麻を使用し逐次亜麻に切り換える考えでした。亜麻の栽培は始められたばかりであり、最初から亜麻専用工場とするのは無理があると考えたのです。大麻は軍人や巡査の夏服、帆布、紋帳、畳糸などに需要がありました。[2]
北海道庁は大麻の栽培を奨励し、作付面積は増加します。1888年(明治21年)からは、道庁は屯田兵村で製造した麻糸を毎年価格を決めて購入するようになりました。[3]
1989年(明治22年)北海道庁はフランスから大麻の馬力製線器を輸入し、屯田兵村に下付します。同じ年、札幌に雁来麻剥皮所が建設され、大麻繊維と亜麻繊維が生産されました。ここは日本最初の亜麻工場です。生産された繊維は、北海道製麻に送られロープ、帆布、服地などに加工されました。[2][3]
やがて大麻より優れた亜麻が重視されるようになり、北海道では大麻から亜麻の生産にシフトしていきます。
大麻から亜麻へ
大麻と亜麻は同じ系統の繊維作物と見られますが、同じではありません。大麻はクワ科の一年草で草丈は2mに達します。密集して生育するため強風にも倒れにくく栽培しやすいため、繊維をとる茎の収穫量も多くなります。繊維は漁網、洋服地、ロープ、畳糸などに使われます。[2]
一方、亜麻はアマ科の一年草で、草丈は低く1mほどです。繊維は大麻より良質、強靭で、水分の吸収と発散が早い特徴があります。高級織物リネンは亜麻繊維から作られ、夏服の素材として高い需要がありました。明治政府は殖産興業のため北海道で亜麻の栽培を奨励し、新しい繊維産業を打ち立てようとしました。[2]
当初北海道では主に大麻が栽培されていましたが、その後亜麻の生産に力が入れられました。
【グラフ1】は1884年(明治17年)から1905年(明治38年)までの、北海道における大麻と亜麻の作付面積の推移を表したものです。
(出所)農商務統計表、農林省統計表、北海道亜麻事業七拾周年記念史[4]
大麻の作付面積は100ha前後でしたが、北海道製麻会社の設立(1887年)により増加し、1892年には279haまで増えています。さらに日清戦争(1894年~1895年)の影響で需要が急増し、1895年(明治28年)には1,433haに達しました。しかしその後次第に面積を減らし、1900年代以降は200ha前後にとどまっています。
一方亜麻は大麻に代わり面積を増やし続け、1892年に425haであったものが日露戦争終結の1905年には約10倍の4,203haまで拡大しました。北海道での麻産業の主役が、大麻から亜麻に入れ替わったのです。
まとめ
北海道での麻の歴史は明治初期の屯田兵による大麻栽培にはじまり、北海道庁が進めた殖産政策により重要産業としての地位を確立しました。ヨーロッパ留学による技術の研修、外国人技師を招いての修得、ヨーロッパからの機械購入などを進め北海道に定着させています。
産業化は、栽培の歴史の長かった大麻からはじめ次第に亜麻にシフトしていますが、日清戦争、日露戦争による需要が亜麻の生産を拡大させているところは、戦前の日本社会を反映していて興味深いところです。
北海道では20世紀以降大麻の栽培は衰退しましたが、全国の状況はどうでしょうか。【グラフ2】は1884年(明治17年)から1905年(明治38年)までの、全国の大麻作付面積の推移です。
1895年(明治28年)をピークに少しずつ減少していますが、なおも一定の栽培が継続されています。繊維作物として長い歴史があるだけに、そう簡単には消滅しません。
残念なことに第二次大戦後、産業用としての大麻はほとんど忘れられた存在でした。しかし、このところ再び大麻を見直す動きが始まっています。大麻は食用油、麻織物、住宅用建材など多用途に利用できる作物ですので、その特質を生かし再度脚光を浴びる日のくることを期待します。
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引用元
[1] 「麻の基礎知識」-北海道ヘンプ協会
https://hokkaido-hemp.net/basic.html
[2] 「北海道における栽培と亜麻工場の盛衰」 農業経営者 2017年2月号
https://agri-biz.jp/item/content/pdf/4482
[3] 「年表、北海道の大麻栽培史」
https://paperzz.com/doc/5862711/年表%EF%BC%8E北海道の大麻栽培史
[4] 「北海道における産業用大麻の作物としての可能性」 北海道産業用大麻可能性検討会
2014年3月
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ns/nsk/260319houkokusyo.pdf