こころの病を抱える成人のうち、治療を受けている人はほんの一部に過ぎないそう。最も多いうつ病を効果的に治療するため、これまで麻薬やサイケデリックとして扱われていた植物や菌類を応用した治療が現在研究されています。
「古代の秘薬」リバイバルで医療が変わる
こころの病気には様々な種類があります。中でもうつ病に悩む人は非常に多いと言われており、日本でも100人に6人が生涯のうちに一度はうつ病を経験しているというデータもあります。ここ数年にわたって続いた世界的パンデミックによる生活の変化は、多くの人の心の健康に多大な影響をもたらしました。その影響でやる気が出ない・ 気分が落ち込む・ イライラする · 不眠 ・ 頭痛などの体調不良といったうつ症状を抱えている人も増えています。こころの病は特別な人がかかるものではなく、誰でもかかる可能性があるのです。
コミュニケーションツールが発達し、メンタルクリニックや心療内科を受診する人も増えているものの、病状で悩んでいても自分では病気であると気づかなかったり、自ら助けを求めることが難しくなるケースも多いのがうつ病の難点です。また通院して投薬を受けてもなかなかよくならないケースも見られ再発率も半数以上と言われます。
こうした問題の解決策の一つとして、幻覚作用のある植物や毒キノコの成分を利用した治療法が研究されています。
幻覚植物はサイケデリックスとも呼ばれ、脳神経系に作用して幻覚をもたらす作用を持っています。日本では決して良いイメージを持たれておらず、ドラッグと同一視されていることも多いのですが、これらの植物は古くから宗教的な儀式や医療に秘薬として使われ、現代の心理療法にも用いられてきた歴史があります。また宗教や文学作品など文化に与えた影響も計り知れません。
サイケデリック・セラピーの歴史
スイス人の化学者アルバート・ホフマンが自身の研究の副産物として幻覚剤 LSD を発見したことにより、1940〜 1950 年代にサイケデリック・ブームが生まれ、精神疾患を持つ人々を治療するための新薬として研究が進みました。しかし当時の技術ではコントロールが難しく、60年代のカウンターカルチャーの台頭と共に、レクリエーショナル・ドラッグ(麻薬)として服用されるように。べトナム戦争時には精神作用を利用した化学兵器としても研究が進みました。しかしこれもLSDが薬物として禁止されたことを境にブームは廃れていき、1980 年までに研究は完全に停止しました。
当時、精神医学の分野の研究者はLSDだけでなく幻覚植物の研究も盛んに行っていたといいます。幻覚植物にはシロシビンを含むマジック・マッシュルーム、メスカリンを含むペヨーテ(ウバタマ)などのサボテン、アマゾンなどで宗教儀式や医療に使われるアヤワスカなどがあります。しかしこれらのサイケデリックスの研究も、LSDの研究が下火になると共に廃れていきました。
これらの研究が再び研究が盛んとなったのはつい最近のことです。バイオ医薬業界の分野で幻覚剤の研究が復活し、業界では「サイケデリック・ルネッサンス」と呼ばれています。幻覚植物はうつ病、不安障害、薬物依存症治療の分野で有望視されており、使い方によってうつ病や禁煙に効果をもたらしたり、自殺願望を引き起こす思考を抑制する効果があることが分かっています。例えばカナダ生まれのバイオ医薬品企業「Cybin」は、マジックマッシュルームに含まれる幻覚成分シロシビンを用いた舌下錠を開発し、すでにうつ病治療への活用を開始しておりアルコール依存症の治療についても研究を開始しています。
また英国の医療系大学の名門インペリアル・カレッジ・ロンドンにはサイケデリック研究センターではシロシビンを使い心的外傷後ストレス障害を治療するための研究が行われています。幻覚剤学際研究学会(Multidisciplinary Association for Psychedelic Studies)も、シロシビンがPTSD(心的外傷後ストレス障害)の治療に有用であるというデータを公表しました。臨床試験では3度の治療を受けたPTSDを持つ被験者のうち、67%がPTSDの診断基準を満たさない水準まで症状が改善し、88%については有意義な改善効果が認められたといいます。
大麻成分もメンタルヘルスに影響大
現在研究が進められている精神活性成分には、大麻に含まれるTHC(テトラヒドロカンビノール)も含まれます。この成分は「ハイ効果」をもたらす主成分として知られており、気分を高揚させるだけでなく、吐き気を抑えるなど様々な効果をもたらします。また強い鎮痛や鎮静効果、ストレス状態を緩和する作用があります。がんやエイズ患者の食欲を亢進し安眠を促す効果もあり、古代医療や現代のオルタナティブ医療として重宝されてきました。
20世紀には長い間違法薬物として禁止されていたため、病気治療に使うには法を破るしかありませんでしたが、大麻の持つ医療効果が知られるにつれ、有効成分を抽出した製剤が生まれたり医療目的での大麻や大麻製剤を合法にする国も増えています。
人々が医療用大麻を使用する理由としては、不安やうつ、睡眠障害などが一般的だとされています。この中には病院で抗うつ薬を試してきたものの症状が改善せず医療用大麻や違法の大麻に切り替えた人も多く存在します。
大麻には100種類以上のカンナビノイドと呼ばれる生理活性成分が含まれており、THCもそのうちの1つです。日本では精神作用がなく健康効果の高い大麻由来カンナビノイドCBDの存在が広く知られ、リラックスや安眠サプリメントとして利用できるようになっています。
大麻から摂取したカンナビノイドは人体にあるカンビナノイド受容体と結びついて効果を発揮します。このカンビナノイド受容体の拮抗薬であるリモナバン(Rimonabant)が、抗肥満薬や禁煙薬として一部の国で認可されました。しかし副作用としてうつ状態を引き起こすことが明らかとなり、承認から1年後に欧州医薬品審査庁(EMEA)はうつ病患者や抗うつ薬使用者にはリモナバンの使用を避けるよう勧告を出しています。カンナビノイドとメンタルヘルスの関係がここでも示唆されているようです。
まとめ
人の心もそれぞれの人生体験も千差万別。うつ病の発生にもさまざまな原因があります。ものごとの考え方や行動をコントロールする方法から投薬まで、さまざまなアプローチが取られてきましたが、決定打は得られていません。
サイケデリック・ルネッサンスによって、苦しむ人たちが少しでも多く救われる時代を期待したいものです。
<参考文献>