【令和の大嘗祭】麁服にみる皇室祭祀と麻

新しい天皇が即位され、年号も、平成から令和へと新しくなりました。昭和天皇が崩御された昭和から平成への時とは異なり、「生前退位」ということで、準備を整え、穏やかに、しかし、厳かに代替わりが行われました。

この記事では、新天皇が即位後、行われる大嘗祭における麁服(あらたえ)や皇室祭祀と麻の関係ついてご説明します。

そのことを通して、神聖なものとして神事に欠かせない麻の歴史を考えます。

大嘗祭とは?

(令和大嘗宮主基殿)

天皇は、毎年11月に、その年に収穫された新穀などを天神地祇(てんじんちぎ)に供えて、感謝の奉告をし、これらを神から賜りものとして自らも食する新嘗祭(にいなめさい)を執り行います。五穀豊穣と国家安寧を祈る宮中祭祀のひとつです。

新しい天皇が即位後、はじめての新嘗祭を大嘗祭と言います。古くは、「おほにへまつり」「おほなめまつり」とも言っていましたが、現代では、「だいじょうさい」と呼ばれています。

大嘗祭の儀式の形が定まったのは、7世紀のころとされています。その後、時代とともに少しずつ変化を遂げつつ、途中行われなかった期間があるとはいえ、営々と続く宮中祭祀です。

特に重要とされる稲をはじめ、さまざまな神饌(しんせん)は、全国各地の名産品が供納されます。

天皇の祭服は、純白生織の絹地で、最も清浄な服とされています。一方、皇后の祭服は、白色帛御五衣、白色御唐衣、白色御裳です。

これらとは別に、神座に奉安する斎服として、絹製の繪服(にぎたえ)と、麻製の麁服(あらたえ)があり、供進される地域が決まっています。

大嘗祭に調進される麁服とは?

(徳島 三木家:この住宅の南側にある600㎡の畑で麁服に使う大麻が育てられます)

前章で、大嘗祭は、7世紀にそのだいたいの形が定まったと書きました。そして、大嘗祭に、麁服が供えられたということが、当時の文献「古語拾遺」や「延喜式」に記されています。

特に、宮中の年中儀式や制度についてまとめた「延喜式」に、麁服は、皇室から依頼があって納める調進の品であること、麁服とは違う目の粗い布やアワビ、ウニなどの海産物を麻殖郡、那賀郡(いずれも、今の徳島県)が献上することが書かれています。

大嘗祭では、新穀とともに、阿波の麻織物、麁服と、三河の絹織物、繪服(にぎたえ)が神座に祭られ、五穀豊穣が祈られます。

このうち、麁服とは、阿波忌部氏が織った麻の織物のことで、皇居東御苑に新しく建てられる大嘗宮の中心となる悠紀殿、主基殿それぞれの神座に、「神のより代」として二反ずつ供えられます。

ここからも、麻がいかに神聖なものであるかがわかります。

なぜ、麻織物なのか?

新天皇が即位後、はじめての新嘗祭である大嘗祭において、麻の織物、「麁服」は、欠かすことができない重要なものです。

天皇家から依頼を受けて納める麁服調進ができるのは、阿波忌部氏だけです。阿波忌部氏である三木家に残る古文書には、1260年の大嘗祭で麁服を調進したとの記録が残っています。その後、南北朝の戦乱で、調進の歴史は途絶えましたが、大正天皇の大嘗祭において、580年ぶりに復活しました。

日本では、麻を栽培することが法律で制限されていますが、大昔より受け継がれてきた、大嘗祭に麁服を調進するために、伝統の麻を植え、糸を紡ぎ、麻を織るということを継承されています。

ちなみに、麁服を調進する阿波忌部氏があるのは、現徳島県吉野川市ですが、市町村合併の前は、麻植郡(「延喜式」では、麻殖郡)と言いました。地名に残る「麻を植える」地域に由来する麻植という名称には、とても興味深いものがあります。

現代に受け継がれ、阿波忌部氏三木家で作られる麁服

(山崎忌部神社:徳島県吉野川市)

大嘗祭の麁服を調進してきた阿波忌部氏ですが、阿波に忌部氏が実在したということを示す最古の史料は、なんと正倉院が所蔵している目の粗い絹布に遡ることができます。

そこに、「麻殖郡川島少楮里に住む忌部為麻呂が天平四年(732)10月、黄色の〇を「調」として壱疋納めた」と記されています。このように、阿波忌部氏は、はるか昔より、麻を植え、糸を紡ぎ、麻を織ってきました。

そんな由緒正しき阿波忌部氏の子孫である三木家が、古代からの伝統様式をそのまま、令和の大嘗祭においても麁服を調進しました。今回の大嘗祭でも、伝統に則り、阿波忌部氏の子孫により一連の工程が執り行われました。

まず、麻を栽培する畑を整地し、2019年4月9日に大麻の種が撒かれました。何度も間引きしながら約100日で成長した麻を収穫し、茎の天日干しから、煮沸、皮を剥ぐなどを経て、麻の繊維を紡いでいきます。麁服にできる麻は、気温が平地より3~5℃低い高地で栽培します。

その後、糸は、阿波忌部氏が拠点を置いたとされる吉野川市の山崎忌部神社(写真)の氏子らによって、織り初め式が開かれ、巫女姿の地元の女性によって機織られ、10月に四反分の反物を仕上げました。10月27日に、織りあげられた麁服は、大嘗祭にむけて出発しました。

このように、天皇家の祭祀において、阿波忌部氏が重要な役割を担ってき、これからも担い続けていくことでしょう。

大嘗祭における麁服の意義

「大嘗祭に調進される麁服とは?」の章で書きましたように、麁服は、大嘗祭において、皇居東御苑に新しく建てられる大嘗宮の中心となる悠紀殿、主基殿それぞれの神座に、「神のより代」として2反ずつ供えられます。

「神のより代」とは、端的に言うと、神様が降りてきて、宿る場所ということです。つまり、大嘗祭においては、麁服は、大嘗祭を見守り、司る神様がおられる場所となります。

これは、古来より、麻が、人々にとって大切なものであり、神聖なものであることを示しているといえるでしょう。

まとめ

生きている間に、大嘗祭を身近に経験することができるのは、日本人としてとてもうれしいことだと思いませんか?

基本的に、大嘗祭の祭祀は秘事ですが、さまざまに考察され、私たちも概要を知ることができるようになりました。

その中における麁服の意義を知ることによって、麻が、私たち日本人にとって、いかに神聖なものであるかということがわかっていただけたと思います。

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引用元

参考資料

Wikipedia 新嘗祭:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%98%97%E7%A5%AD

Wikipedia 大嘗祭:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%98%97%E7%A5%AD

徳島新聞「あらたえ考~大嘗祭を前に(1)大麻栽培の古里 徳島と皇室結ぶ糸」:https://www.topics.or.jp/articles/-/186792

徳島新聞「あらたえ考~大嘗祭を前に(2)調進の歴史 延喜式や文書で裏付け」:

https://www.topics.or.jp/articles/-/186796

日本経済新聞「大嘗祭の麁服調進準備 三木信夫さん」:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40029440V10C19A1962M00/

Wikipedia 依り代:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%9D%E3%82%8A%E4%BB%A3

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