はじめに
麻は、木綿が一般に普及する前から広く用いられてきた天然繊維です。日本では、アサ科のアサ以外にも、麻に似た繊維の採れる植物をそうよんできた歴史があります。丈夫な性質を生かしてロープなどに使われてきた「マニラ麻」[*1]もそのひとつ。原産地フィリピンでの栽培には、日本人移民も大きくかかわってきた歴史があります。
マニラ麻とは
「麻」は、もともと大麻(植物のアサ)や苧麻を指すことばですが、日本語ではアサに似た性質をもつ植物や、その繊維にも使われてきました。麻とよばれている植物を植物学に従って分類すると、「おおざっぱに分けても50~60種類になる」といいます[*2](『繊維の実際知識』第6版、P.21)。
縁起物として好まれてきた「鯛」や、日本の春を代表する花の「桜」にも似たような例があります。現在の分類学の体系が整う18世紀よりはるか前から、アサが身近にあった有用な植物だったということでしょう。
アサの繊維は茎から靭皮(植物の茎の皮)をはぎ取って加工します。アサに似た植物の繊維には、アサと同様に靭皮から採るものと、葉脈から採るものとがあります。靭皮繊維は、亜麻・苧麻・大麻・黄麻・いちび麻・洋麻など。葉脈繊維にはマニラ麻・サイザル麻・マゲー・マオランなどがあります。それぞれの繊維の性格を生かして、綱や網、梱包資材、製紙材料などに幅広く用いられています。
アバカ繊維の優れた性質
マニラ麻の繊維は、アバカ (Abaca) という植物から採ります。アサ (学名 Cannabis sativa L.) がアサ科なのに対し、アバカ (学名 Musa textilis) はバショウ科で、野生のバナナの仲間です。
アバカの学名を見ると、織物や布地を意味する英語の textile の元になったラテン語が含まれていて、有用な繊維植物と認識されていたことがわかります。原産地はフィリピンで、栽培が盛んな土地の名前を冠して「セブ麻」「ダバオ麻」ということもあります。
成長すると6mもの高さになるアバカは、バナナによく似た楕円形の大きな葉をつけます。繊維を取り出すのは、その基にある葉鞘(さや状になった、茎を包む部分)から。丈夫な繊維は、より合わせてロープとして使われており、トラックや貨車のロープとしても使われています。水に浮く性質から、特に船舶のロープや帆布に活用されてきました。
また、仮茎から抽出する繊維は軟らかで独特な光沢と張りがあり、ミンダナオ島を中心に美しい絣織物が知られています。汗をかいても肌につかず、着ていて涼しい、高温多湿の気候に合った優れた性質は、糸芭蕉(バショウ科)から採った糸で織る沖縄の芭蕉布[*3]とも共通しています。
フィリピン貿易工業省が、アバカの栽培農家や事業者を取り上げた動画を公開していて、農園や作業風景を見ることができます。
*動画 Abaca Fiber Processing(アバカ繊維の加工処理)
The Department of Trade and Industry of Philippines
西洋の需要に応えたアバカ生産
アバカは、現在も生産量の9割を原産地のフィリピンが占めています。
フィリピンは、1565年のレガスピの到達以降、マニラを擁するルソン島を中心に、スペインによる植民地支配を受けていました。1834年にマニラが開港されると外国との貿易が盛んになり、砂糖やタバコと並んで重要な輸出品だったもののひとつがアバカ(マニラ麻)でした。
「マニラ麻は1830年代から、ロープ製造のためとりわけアメリカで需要が高まり、輸出量が増加した。1850年代まで、ほとんどのマニラ麻がそのままアメリカに輸出され、そこでロープに加工されていた」[*4](『新版世界各国史6 東南アジア史Ⅱ』P.236)。
1898年のアメリカースペイン戦争の結果、フィリピン諸島がアメリカの領有になったのちも、アバカの生産はアメリカの需要に支えられて成長を続けます。
日本人移民が拓いたミンダナオのアバカ農園
19世紀の初頭、アバカはミンダナオ島のダバオ州での栽培が盛んでした。きっかけは、明治37(1904)年から移植した日本人実業家が農園の経営を始めたことです。中心的存在だったのは、古川義三[*5]が創業した古川拓殖株式会社で、古川が伊藤忠兵衛の親戚にあたることから、伊藤が興した伊藤忠合名会社会社(現在の伊藤忠商事株式会社[*6]の前身)が全額出資しています[*7]。
「戦前、ダバオは多数の日本人移民による農業植民地として知られ、1934年には移民者1万5000人、農場面積は約4万haに達した。当時、ダバオのマニラ麻生産の約8割が日本人によるものとされた。400haを超える日本人大農園も25に達し、古川拓殖や太田工業株式会社などが有名であった」[*8](『[新版]東南アジアを知る事典』「マニラアサ」P.431)。
最盛期、ダバオには2万人近くの日本人が住み、東南アジア最大の日本人町に成長しました。しかし、アジア・太平洋戦争で日本が敗北したことから、日本企業の経営する大農園はフィリピンに接収・返還され、戦後はバナナなどの小規模な農園に生まれ変わったところが多くあります。
まとめ アバカの新しい可能性
より安価な化学繊維製品が普及するにつれ、ロープなどに使われてきたアバカの需要は減少しました。また、1970年代に流行ったアバカのモザイク病で農園が壊滅したことも大きな打撃でした。
現在アバカは、紙幣や封筒、コーヒーフィルター、コンデンサー絶縁体など、産業用特殊紙の原料として見直されています。フィリピン農業省や地方自治体も振興に努めていて、日本からは国際協力機構(JICA)やNGOなどが支援しています。
フィリピン政府統計機構[*9]によると、国内のアバカ生産はビコール地方(ルソン島南部)が全体の43%を占め、東ビサヤ地方(ビサヤ諸島東部)の15%、ダバオ地方(ミンダナオ島南東部)の12%と続きます。
アバカの繊維は、現在も9割は伝統的な手挽き作業に頼っているため、作業者の負担も大きく、生産量も限られています。機械を導入することで品質が安定し、生産性の向上も見込めることから、村落開発や村人の収入向上の可能性をもつ産業として注目されています。
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引用元
*1 マニラ麻(コトバンク) https://kotobank.jp/word/%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A9%E9%BA%BB-635460#E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E7.AC.AC.EF.BC.92.E7.89.88
*2 中村耀『繊維の実際知識』(第6版)、東洋経済新報社、1980年。
*3 喜如嘉の芭蕉布 http://bashofu.jp/index.html
*4 池端雪浦『新版世界各国史6 東南アジア史Ⅱ』山川出版社、1999年。
*5 古川義三(20世記日本人名事典) https://kotobank.jp/word/%E5%8F%A4%E5%B7%9D%20%E7%BE%A9%E4%B8%89-1654284
*6 伊藤忠商事㈱(日本大百科全書⦅ニッポニカ⦆)
https://kotobank.jp/word/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%BF%A0%E5%95%86%E4%BA%8B%28%E6%A0%AA%29-1505133
*7 マニラ麻農園の発展に向けたCSR活動開始(伊藤忠商事株式会社)
https://www.itochu.co.jp/ja/csr/news/2012/120611.html
*8 石井米雄他監修『[新版]東南アジアを知る事典』平凡社、2008年。
*9 Philippine Statistics Authorit(フィリピン政府統計機構) https://psa.gov.ph/non-food/abaca
・道明美保子・田村照子編著『アジアの風土と服飾文化』放送大学教育振興会、2004年。
・板倉寿郎他監修『原色染織大辞典』淡交社、1977年。