英国の法廷では判事と法廷弁護士が馬の毛でできたかつらやガウン(法衣)を着用するのが伝統でした。しかしヴィーガン熱の高まりや動物愛護の観点から、2021年に入りこの伝統かつらにヘンプが使用されるようになり、話題となっています。
伝統に時代の新風を
英国の法廷では弁護士が法廷で馬の毛でできた白いかつらや法服を着用するのが古くからの習わしです。しかし女性弁護士の進出や、様々なバッググランドを持つ人が増えた多様化の進む現在ではこの風習を改める動きが盛んです。もっと現代風に改めるべきだという声も増え、2008年には民事と家事の裁判においてかつらや法衣の着用が廃止されましたが、刑事裁判では今でもこの慣習を継続しています。
しかし子どもが関与する事件や暑い季節など、一定の条件下では法衣を着用しないケースも見られるようになり、合理化と現代化は着実に進んでいます。
英国の法服メーカー「アイビー&ノルマントン」では、イスラム教徒の女性弁護士がイスラム教徒としてのアイデンティティを維持しながら仕事を続けることができる、法服のルールに沿った頭をおおうヒジャブ(※)を発売しました。
ヒジャブ※
ヒジャブとは、イスラム教徒の女性が髪の毛を覆い隠すためのスカーフ。西欧社会では女性への抑圧と捉える向きもありますが、元々は宝石のように美しく大切なものを大切に覆い隠すという意味もあるそう。英国にはイスラム教徒が多く暮らし、ロンドン市長(2016〜)のサディク・カーン氏もパキスタン移民2世のイスラム教徒。ロンドン住民の8人に1人がイスラム教徒と言われています。
英国の弁護士は、なぜかつらをかぶるのか?
そもそも、英国の弁護士はなぜこのような衣装やかつらを着用するようになったのでしょうか。その起源は、18世紀にさかのぼるといわれています。当時はかつらを着用するのは弁護士に関わらず、身分が高い人の正装でした。また判事は貴族男性の出身者で、かつらが身分ランクを表わしていたとされ、「フルボトム」と呼ばれる毛の長いかつらは、より格式が高いとされていました。
厳粛な裁判を行うための正装であるだけでなく、弁護士のアイデンティティを隠し、公正な裁判を行うためにも必要だったと言われます。かつらとガウンだけでなく、白いウイングカラー、「バンド」と呼ばれるネクタイ状の麻布の着用も義務づけられてり、着用しない場合、裁判所への侮辱と見なされたのです。
ヴィーガン弁護士のアイデア
しかし現在では様々なバッググランドを持つ人が弁護士となり、法曹界も大きく変わりました。ヴィーガン人口が増えたことも変化の波の一つです。ヴィーガンの多くが動物愛護や環境保護の観点から動物性食品を食べないだけでなく、革靴などの動物性素材を使った衣服も着用しません。ヴィーガンの弁護士や弁護士志望者にとって、馬の毛で作られたかつらは彼らの信条に反し、キャリアを阻む存在になってしまいます。
しかし化学繊維を使用するのは環境保護の観点から彼らのポリシーに反します。これらの繊維は微生物によって最終的に分解され自然に還る生分解性が低いため、環境への大きな負担を与えてしまうからです。
こういった事情を背景に2021年3月に法廷弁護士のサム・マーチ氏が開発・発表したのが、生分解性の高いヴィーガン素材であるヘンプ製の法廷用かつらです。
マーチ氏は英国初の動物保護専門法律事務所であるAdvocates for Animals(=動物の擁護者)にボランティアとして参加し、パラリーガルとして働いた経験もある人物。ヘンプを使った法廷用かつらのアイデアを生産するため、サステナビリティ志向のヘンプ・ファッション・デザイナー、ローラ・ボッサムと協力し実現化にこぎつけました。
現在、このかつらはイギリスの熟練した職人によって個別に手作りされており、馬毛かつらよりもコストが高めです。マーチ氏は「次の目標は、環境ガス排出少なく、持続可能で、倫理的に調達でき、可能な限り入手しやすくすること」だと語っており、法曹界で注目を集めています。
サステナビリティ・ポイントも高い
麻は自然界で最も強い天然繊維の1つであり、生分解性がありながら馬の毛に劣らない耐久性も期待できます。
また成長が早く、多作も可能であることからコンスタントな収穫が期待でき、他の作物と組み合わせての輪作も可能です。成長が早い分、二酸化炭素の吸収量も増えるためCO2削減効果も期待できるとされています。
日本では背丈が大きく成長が早い大麻の性質にあやかって、和服の伝統柄「麻の葉柄」は、子供の成長を願う縁起物としても愛されてきました。
また、肥料や農薬もそれほど必要とせずよく育つ麻は、土壌への悪影響・地球環境への負荷が少なくてすむというメリットもあります。
ヘンプは役に立つ万能素材
麻の種類はたくさんあり、リネンやラミーは衣服の素材としてもよく使用されています。また繊維を建材として利用したり、栄養価の高い麻の種子は(ヘンプシードやフラックスシードなど)食用にしたりオイルを絞ることもでき、麻の成分を抽出し医薬品やコスメに配合することで健康や美容に役立てることもできます。近年注目されているのは麻に含まれるカンナビノイドと呼ばれる成分で、100種類以上が見つかっており、医学や健康に役立つ注目成分として世界中で研究が進められています。
また麻は建材としても量できるほど丈夫で、断熱材として使用されたり、コンクリートブロックを生産したり、米国などでは「ヘンプハウス」と呼ばれるヘンプをブレンドした新しい建材ヘンプクリート(ヘンプ+コンクリート)で作られた天然素材の家も登場しています。
今回のかつらに使用されたヘンプも、産業用作物として熱い支援を集める麻科の作物の一つです。マリファナのように向精神性物質であるTHC(テトラヒドロカンナビノール)をほとんど含まず、体内のバランス調整機能に働きかけ精神作用のないCBD(カンナビジオール)含むため現在様々な分野で利用されています。
石油のように将来枯渇してしまうエネルギーを使う代わりに、未来も継続的に生産と循環を行うことができるというサステナビリティ=持続的可能性の観点からも、麻は様々なパワーを秘めているのです。
伝統も進化し続ける
市民と法廷関係者を対象にしたアンケートでは、6割以上が「法廷用衣装は現代化されるべき」と考え「慣習を維持すべき」と答えたのは3分の1程度だったそう。
慣習を重んじる法律の世界にもヴィーガンの波が訪れたことで、ヘンプに改めてスポットライトがあたりました。2021年5月のロンドン市長選挙戦では、「ロンドンにおける成人向け娯楽用大麻の合法化を検討」というトピックもニュースになっています。
麻全般にダークなイメージを持つ人もまだ多いものの、時代の変化とともに意識も変わり、麻の可能性について偏見なく向き合うことができる社会が生まれつつあるのかもしれません。
<参考資料>
https://www.judiciary.uk/about-the-judiciary/the-justice-system/history/#:~:text=Until%20the%20seventeenth%20century%2C%20lawyers,essential%20wear%20for%20polite%20society.
https://ivyandnormanton.com/
https://www.legalfutures.co.uk/latest-news/pupil-barrister-uses-hemp-to-create-first-vegan-wig
https://www.afpbb.com/articles/-/2253400