【江戸時代の重視商品⁈】麻と綿の物語

はじめに

四木三草(しぼくさんそう)という言葉を聞いたことがありますか。江戸時代、幕府や諸藩が重視し商品として売ることを目的に生産された農作物(商品作物)です。四木は茶、楮(こうぞ)、桑、漆のことで、三草は、藍、紅花を指します。

中学の歴史教科書は、江戸中期の農業をつぎのとおり著述しています。

「米の生産高が増えると、人々の食生活にゆとりが生まれ、副食 品、嗜好品、衣類への需要も高まった。その原料として、野菜、 茶、麻、楮(こうぞ)、藍、漆、紅花、菜種などが、その栽培に適 した地域で本格的に栽培されるようになった。各藩も特産物の生産 を奨励した。それまで輸入に頼っていた、木綿や生糸の生産も増 え、やがて国内で自給できるようになっていった。」[1]

当時庶民の衣服は麻から作られるのが一般的で、麻は全国で栽培されました。各地の特産品として奈良晒、越後縮、近江麻、薩摩上布が知られています。[2]

ところが江戸中期以降、日本の農業は大きな変革を迎え、国産の綿花栽培が普及し、衣服は木綿が使われるようになったのです。

この記事は、江戸期、商品作物としての麻と木綿がたどった歴史を解説します。

江戸中期、綿栽培の拡大と麻

中世から近世に至るまで日本の貿易品の中心は、中国から輸入する木綿と生糸でした。これはヨーロッパも同じで、中国からの絹織物と陶磁器、インドからの綿織物の輸入が交易の中心でした。交換に中国とインドには金銀銅が流入し、世界で最も富んだ国になったわけです。[3]

やがて18世紀イギリスでは紡績業を中心に産業革命が進展し、インド綿織物を駆逐しついには植民地とします。日本では綿栽培と綿織物の国産化は17世紀から18世紀に進みました。

江戸時代初頭、綿の栽培は畿内や山陽道で行われていましたが、その後各地に広がりました。綿をはじめとする商品作物の栽培が盛んになった理由はいくつかあります。1つは、金肥と呼ばれる干鰯、干鰊、これらの〆粕が肥料として大量に使われるようになったことです。2つ目は、農具が改善され農作業の効率が改善したことです。[3][4]

綿を繊維として作られる綿織物は、肌ざわりがよく、保温性と吸湿性に優れていました。それまで日本の庶民の衣料は麻しかありませんでしたが、庶民の日常着に木綿が定着するようになりました。農業の変革が江戸庶民の生活を大きく変えたわけです。

木綿にくらべ手間のかかる麻の織物

成人の着物1着を作るのに必要な布の量を1反(たん)といいます。麻は1反の着物を織るために40日要したそうですが、木綿は10分の1ですみました。木綿は麻に比べ、繊維の質がよく加工も容易でした。[5]

麻から糸を作るには、多くの作業を要し、資料[6]によるとつぎの9工程を必要としたといいます。

①麻煮(おに) …麻釜(おがま)で麻を煮ます。
②麻剥ぎ(おはぎ)…煮た麻の茎から繊維をはがします。
③麻掻き(おかき)…繊維からいらない部分を取りのぞきます。
④精麻(せいま) …繊維を乾して、乾燥します。
⑤麻績(おうみ) …繊維を長くつないで、より合わせます。
⑥麻撚り(おより)…繊維をねじって強くします。
⑦糸合わせ …さらにより合わせて、畳糸(たたみいと)にします。
⑧寒晒し(かんざらし)…寒い晴れた朝、雪の上に糸をさらします
⑨糸を乾燥させます。

一方、イギリスでは産業革命前の手作業の時代、綿花から糸を作る工程は、「綿花を摘む」「棒で叩く」「水にさらして掬いとる」「薄く延ばして丸めて糸にする」などの作業が行われました。[7]

作業工程の分析レベルが上記の麻と異なるため、そのまま比較できませんが、参考までに。

綿の国産化が進むにつれて、織布としての機能や作業のやりやすさで見劣りする麻は、徐々に劣勢に立たされていきます。

東北以北に残った麻

それでは綿栽培が全国に広がり、麻は日本から完全に駆逐されたのでしょうか。そうではありません綿は元来、熱帯や亜熱帯の植物で、栽培には降霜のない季節が一定期間必要です。日本の東北以北での綿栽培は、現代でも最新の技術と管理がないと簡単ではありません。[8]

江戸中期、関東や東北地方では桑の栽培と養蚕が広がり、綿栽培はほとんど行われませんでした。綿栽培は大消費地京都と大阪を目の前にした畿内、山陽道が中心でした。一方、大量の綿が北関東から東北の村に運ばれ、布に加工され江戸に供給されたのです。[3]

こうして東北地方は部分的には綿や養蚕の経済圏に組込まれながらも、農村では、明治時代になるまで麻の衣服が主流でした。女性は一日中、麻を積まなければならない厳しい生活が依然として続いたのです。[5]

まとめ

江戸時代は、農業生産力が向上し商品作物の栽培が広がり、農村に商品貨幣経済が広がったといわれます。しかし、主にそれは主に綿織物、酒造、搾油(菜種や綿実から灯油、食料油を生産すること)などによって支えられました。[9]

麻と綿は江戸商品作物の代表のようにいわれますが、実はその役割は大きく異なります。江戸農業革命のなかで綿は日本の産業の柱となりました。19世紀欧米列強によるアジア植民地化が進展したにもかかわらず、日本が独立を維持できた理由として日本綿産業の確立をあげる研究もあるほどです。[3]

そうした動きのなかで麻は劣勢を強いられますが、決してその価値を失ったわけではありません。古代から繊維作物としての歴史をもつ麻は、明治維新後も繊維、網、帆布、ズックなど幅広い用途で使われてきました。また北海道では開拓農民の現金収入源として重視されました。

近年環境問題の重要性が認識されるなか、土壌の浄化植物やバイオマス資源として期待されている麻は、その辿って来た歴史をあらためて知っておくべきではないでしょうか。

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引用元
[1] 杉原誠四郎、藤原信勝 他著 「新しい歴史教科書」平成28年度採用 
出版 新しい歴史教科書をつくる会 

[2] マナペディア「江戸時代の経済発展 受験日本史まとめ42」
https://manapedia.jp/text/4788

[3] 「新しい歴史教科書」-その嘘の構造と歴史的位置ー 「第3章:近世の日本」批判20
http://www4.plala.or.jp/kawa-k/kyoukasyo/3-20.htm

[4] goo blog 「江戸時代、商品作物の栽培と経済の発展」
https://blog.goo.ne.jp/masatoshi-nakamoto/e/f6b80e477947311c1ae8d3f4636a33fd

[5] 「麻から木綿への変化」
http://www.ipc.shimane-u.ac.jp/food/kobayasi/hempcotton.html

[6] 「途絶えた文化の復活を題材とした実践例」
http://kyoushoku.shinshu-u.ac.jp/kyoushoku/study/c/c6.pdf

[7] レファレンス共同データベース
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000196092

[8] 「栽培のポイント」
www.cotton.or.jp/growpoint.html

[9] 「貨幣経済の発展と農村の変化」
kashiba-city.net/wiki/wiki.cgi/sekki?page=%285%29%B2%DF%CA%BE%B7%D0%BA%D1%A4%CE%C8%AF%C3%A3%A4%C8%C7%C0%C2%BC%A4%CE%CA%D1%B2%BD

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